高橋聡。 1962年、ナポレオン・ヒル博士と同じ誕生日。
慶應義塾大学商学部卒業。
セイコーエプソンに11年、大阪の商社に7年、2005年に(株)アルベックスを設立し、現在に至る。
エプソン入社2年目で、シンガポールにマネージャーとして赴任。タイ、マレーシア、台湾、韓国を歩き、パソコン部品の国際調達をゼロから立 ち上げる。
28歳でシンガポール工場の生産管理を任され、華人・マレー・インディアと人種の異なるスタッフ24名を率い、仕事に邁進するも、幾度となく異文化の壁に跳ね返される。マレーが「豚は食べられません」といえば、インディアが「牛はだめです」と言う。泣く泣く、スタッフとの食事はケンタッキーフライドチキンへ。
スタッフがいなくなって探せば、倉庫の片隅でメッカに祈りをささげている。その姿を見て「彼は熱心なイスラム教徒なんだ!」と感激するも、よく考えれば、お祈りの時間ではない! これは単なるサボリではないかと、大いに悩む。
断食中に、「お~い、この製品、はやくトラックに積み込め!」と指示すれば、「高橋さん、朝から何も食べてないよ。ノー・パワー、・・・」と言われ、返す言葉を失う。
日本に帰国後、本社貿易部門で、国際輸送費の削減に取組む。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、香港、シンガポールの貿易責任者を集め、オランダの欧州本部で、会議を主催。それまで各国別に、船会社と交渉していた形を、日本で一括交渉するよう、変更を提案する。
各国の責任者は、自分の権限が縮小するので、異論噴出となる。50歳を過ぎた、ショーン・コネリーばりの髭をたくわえたオランダ人は、「この若造が」と露骨に見下してきた。そりゃそうだろう、欧州本部の頭を飛び越えて、仕組みを変えるわけだから。
ただし、そんなことは折込済み。だから事前に、全世界の船会社と東京で運賃交渉を済ませておいた。 「年間1億円のコストダウンになる。あなたたちが担当する、全ての輸送ルートでコストは下がる。それでも潰す、覚悟はあるのか!」と承認を迫る。
全員を納得させ、会議は大成功。 終了後トイレに行って、「どうだ! 若造だけど、舐めるなよ!」と気を吐くが、オランダの〇〇隠しは位置が高く、背伸びしないと用を足せないことに気づく。「う~ん、さすがオランダ人は足が長い、参った・・・」と、かなり凹む。
のぼせ上った状態で、大阪の商社に転職し、営業の最前線に挑む。
私の担当は、新規開拓だから、既存客はない。また大企業のような看板もない。加えて大阪は始めての土地で、人脈もなければ関西弁もしゃべれない。「喜連瓜破(きれうりわり)」という地名が読めず、目を白黒させること数知れず。最初は吹田インターを「ふきたインター」といって笑われる始末。
足を棒にして、門真、大東、東大阪、八尾と、町工場を歩く。このとき初めて、新規開拓の難しさを肌で感じ、壁にぶつかる。本当の意味で、挫折感を味わいました。徹底して、お客と話す。売れるものは、全て売る。相当頑張ったが、成果は出ない。
著名なコンサルタントに教えを請うも、そんな理屈は現場で使えないと、すぐに失望。片っ端から本を読むも、どうもピントが外れている。夜なべして、ホームページも作ったが、問合せはゼロ。そんな砂を噛む思いを繰り返すなかで得たのが、ダイレクト・レスポンス・マーケティング。
「これはいける!」と直感し、すぐにホームページを作り直した。FAX・メールも組み合わせて、訪問営業に繋げる仕組みは、面白いほど成功した。東証上場企業の新規口座を多数獲得し、3年で3億円の売上になる。何よりも大手企業が、こぞって新規口座をあけてくれたのが大きかった。
ダイレクト・レスポンス・マーケティングは、マーケティングというより営業そのものだ。このやり方は、全ての中小企業で役に立つ。そう確信し、中小企業の営業支援を目的に株式会社アルベックスを設立。ネットとリアルの双方を理解し、営業に精通した数少ないコンサルタントとして、これまで1000社近くの中小企業にアドバイスを行う。
また、商工会議所、ベンチャー支援機関での講演多数。著書に「あなたの売上げを300%アップするセールスレター革命」、雑誌「ダイヤモンド・ビジョナリー」に1年間連載あり。英語に堪能で、ドイツ語、インドネシア語も少々。語学力を活かして、最新のネット事情に通じている。
現在の主たる活動は、「受注活動の入口になるWebサイトをどう変えるべきか。」 世間に溢れる情報に振り回され、自分を見失っている企業が多く、強い危機感を感じています。中小企業だけでなく、広くWeb制作会社も含め、問合せを増やす方法を「Web集客の急所・改造ジム」にてアドバイス中。
また成果保証プログラム「Web革命7Days」では、対面コンサルティングを経て、7日後にはページが完成させ、問合せ増を保証している。
以上簡単ですが、高橋聡をご紹介しました。